ほりすてぃっくうぃずだむ

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黒木真生プロというひと

バイネームで記事書きますかねえ普通。

この記事の結論

黒木プロのnote、定期購読したほうがいいよ、面白いから。

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自分は近代麻雀noteの定期購読との2択で迷った挙句こっち取りました。
それはそれで(関係者から見たら)ダメじゃね?という気もしますがそっちは気になる記事個別で銭投げますから勘弁してください。

黒木真生プロというひと

さて、バイネームで記事を書き始めたってことは、アンタ、関係者かなんかか、少なくともちゃんと知ってる人なんですよね?とか思われちゃうだろーなーって感じがします。まあ、当然なんですが。
ごめんなさい、全然知りません。

いや、Mリーグから本格的に、その前年のRTDからちょっとだけ、そんな感じで麻雀を見始めた自分が、それ以前は連盟・協会・最高位戦の区別もついていなかった自分が、プロと言えば二階堂姉妹とほんの数人の雀士しか知らなかった自分が、黒木プロのなにを知っていると?
連盟に所属するプロ雀士で、様々なことの裏側にいる人。広報部長。あとバビロンの人*1。知っていることはそれくらいです。あ、あとTwitter阪神の話をしてるひと。
ま、要はたぶん他のひとと変わりません。

それでなんでバイネームで記事を書いてんの?っていう話なんですけど。いやね。

おじさんは普段褒められないんだから、名前出してちょっと褒めるくらい、たまにはいいじゃんって思うんですよ。 *2

プロ雀士スーパースター列伝』というシリーズ

冒頭のnoteでは『プロ雀士スーパースター列伝』というシリーズが展開されているんですが。これが本当に素晴らしくて。いやもう本当に素晴らしくて。ホントこれだけでも定期購読の価値があるんで読んでほしいんですよ。内容としては記事につきひとりのプロ雀士をピックアップして、いろんな(裏側から見える)エピソードを紹介したり、そこから見える「ニン」を描くというもの。本当にこれが素晴らしいんですよ。重要すぎるので何回書いてもいいくらい。

まず、選ばれるエピソードがいいんです。我々観客からは、キャストとしてのプロ雀士しか見えないわけで、その裏側や普段の人となりって、本当に一部しかわからないわけですけど、そこがきっちり見えるエピソードが選ばれている。
しかも、描き方もいい。「黒木プロからはこういう感じだった」ということがまっすぐに描かれていて、すっと想像を働かせることができる。そこから、「ああ、(自分の好きな)このプロ雀士は、こういう人で、そういう魅力があるのだな」と改めて識りなおすことができるのです。そうすると、自分の見てきたエピソードたちが、新たな魅力をもって輝きを増すのです。
そして、結びにいたるまでも素敵。こればっかりは読んでほしいのですけど、そのプロの魅力が光って伝わるのです。そこが毎回ちょっと楽しみなくらい。

記事を読み終わったころには、そのプロがちょっと好きになっていると思うのですよ。

萩原聖人さんプロ連盟入りの舞台裏』というシリーズ

既に完結したシリーズに『萩原聖人さんプロ連盟入りの舞台裏』というシリーズがあります。前中後編。

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おそらくMリーグでは1、2を争うほどの批判を食らっている人だと思うんですよ、萩原プロ*3
まあ、数字だけみたら多少の批判は免れ得ない*4とは思うんですが、それにしたって「そもそも萩原聖人という俳優がプロなんて」みたいな話もあったりして、自分なんかは「そういうことじゃないだろう」と思うところがあるわけです。
が。自分は業界のことは、それこそ雀士ひとりひとりはおろか、団体、「麻雀というゲーム」のコミュニティに至るまで、広い範囲で、ほっとんどなんも知らないわけで。もちろん、それならそれで「外から見ても意味があるんだ」ということを力説することはできますが、結局それどまり。根拠も大してないしね。そりゃそうです、何せ自分は「外の人」。届くようなことなんかそうそう書いたり言ったりはできません。ちえっ、なんだよ、って感じ。

でも、自分は間違ってなかったな。「萩原聖人は必要な人なんだ」と言って良かったな。
一連の記事を読んで、私は確信できたのです。その確信をこのシリーズはくれたのです。

愛だろ、愛

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曰く、「あなた(黒木プロ)の文章は素直でよろしい」ということだそうですが、じゃあ、「素直」だとして、それで表現されているものが何か?の方が重要じゃないですかね。だって、「素直に発される暴言」とか見てらんないでしょ。ということは、素直さそのものに良し悪しはなくて、それが何を表現するか、ということのほうが大事なわけです。

私は、そこに、「黒木真生プロというひとに流れる愛」を見るのです。人間に対する愛と、麻雀に対する愛のカクテル*5
その文章を読んで、ちょっと酔っぱらって、気持ちがよくなるのです。

同じエピソードから情景を切り取るとして、それが良く見えるのか、悪く見えるのかは、ひとえにその対象への愛情に依ります。好きなら(それを表現する力があるかどうかはまあ置いておくとして)好きが伝わるでしょうし、嫌いなら嫌いが伝わります(こっちは技量がなくても結構イケます。技量があるとより冷えます)。
黒木プロの文章を読んで、そのプロやエピソードに愛を感じるのであれば、結局のところ、それはご本人の愛なのだろうと思うのです。

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ケネス徳田プロに関する一連の記事が、まさに愛だな、と。
ぶっちゃけ、(私はとっても狭量な人間なので)実際にこんなのもろもろ食らっちゃったら、私はその人と距離を取っちゃうこともありそうだと思うのですが、それでもこうして読者でいられるならば、ひとつひとつのエピソードに「愛らしさ」が感じられて、楽しく読めて「しまう」。
その「愛らしさ」は「黒木真生プロというひと」が愛情フィルターを通して語ってくれるからなんじゃないか、と思ったりするのです。もちろん、きっとケネス徳田プロご自身も「憎めないんだよな~」っていうお人柄だろうと思いますが、この読み物からそう感じられるというのは、結局その記事に愛がないと成立しないことです。
「失敗」をただ茶化すでなく、魅力が伝わる形で文章化する、ある意味圧倒的ともいえるかも知れない愛。
それが、黒木プロの書く文章に読み応えを与えているんじゃないでしょうか。

この記事の結論、重要なのでにかいめ

黒木プロのnote、定期購読したほうがいいよ、「全部の記事に愛があって」面白いから。

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ちなみに、「定期購読しないで、記事を単品で購読し続けて、宣伝する」っていうツンデレをカマす方法もあるようですのでこちらもぜひご検討ください。

*1:でもバビロンが何してるかはよく知らないっていう。

*2:おじさんて何気にこれも失礼だなおまえ。

*3:揶揄でもなんでもなく自分はプロだと思ってるからそう書く。

*4:まあこのあたりにも言いたいことはあるけど、記事にするかどうかはびみょーな感じ。楽しくないし。Twitterではやってるし。

*5:「愛だろ、愛」というキャッチフレーズで流行った「カクテルパートナー」、30年近く昔だそうですよ。懐ネタを使いたくなったらオッサンの証拠だとおもいます。